昭和40年代、日本に洋菓子文化はほとんど広まっておらず、東京でさえ四・五店舗あるという程度だった。そんな中、地方にしては珍しく浜松にまるたや洋菓子店が存在していた。そのまるたや洋菓子店で修行していた松崎哲は、海外から来られる洋菓子の先生方と出会う事になり、その中の一人がW・P・ゴッツェ氏であったという。修行を終え入河屋へ戻った後も交流はあり、ゴッツェ氏が日本へ拠点を移した後は、定期的に入河屋へ訪れ洋菓子について色々な技術を伝承してくださったとの事。松崎善治郎(後の五代目)は学生時代の頃からゴッツェ氏から色々学び深い交流があった為、後にゴッツェ氏の下へ修行にいく事となる。