株式会社喜久屋

仕事の内容

喜久屋の従業員の90%以上は女性です。
元来、クリーニング業は男性の職場とされてきましたが、昭和40年代に「これからは女性の時代である」と言う先代の考えにより、当時、職人にしか出来ないとされてきた「アイロン作業」を独自に機械の開発をして女性でも出来る仕事に変えました。
また、現社長はいち早く全車両に「オートマチック車」を導入し女性ドライバーを増すことや、工場内では女性でも簡単に重量物を取り扱うことの出来る運搬具の開発等を行い、女性雇用を増やす取り組みをして来ました。
近年増えている「シングルマザー世帯」や小さな子供がいる母親への就労支援として、「オーダーメイド制シフト」や「プチ託児所」制度の策定を行い、子育てと就労との両立を余儀なくされている女性が安心して働くことの出来る職場づくりを目指してきました。その結果、喜久屋では女性雇用が進み、今では従業員の90%以上が女性となりました。
社長の中畠は、「社会経験が豊富で様々な知識やスキルを持った女性が、ただ結婚しただけで、または出産で“主婦”や“ママ”と括られるのは非常に勿体ない。その様な女性に合わせた企業側の取り組みや工夫さえあれば、共にWINWINな関係性を築くことができる」と常々話しをしています。また、「女性雇用の為と考えて取り組んできましたが、実は反対に、喜久屋が女性に救われているのです」とも。
故に、喜久屋の求める人物は、仕事と子育ての両立を目指す女性、そしてその女性を尊重しつつ、サポート出来る男性です。
男女共通項として…基本的な人間としての素地は「親孝行(※)」な方となります。
それは、自身の親や祖先に安心・満足頂けない人間が、他人へ(上司、顧客、取引先等)安心・満足などして頂けるはずがないと考える為です。
(※)親孝行=親に安心、満足を与える努力を常に心掛けている様)

設立 ---
代表者 中畠 信一 (代表)
資本金 1000万円
従業員数 150名
事業内容 【クリーニング、保管、リフォーム事業】
喜久屋では消費者の生活時間短縮を目的に、従来の単一的なクリーニングサービスから脱却し、ワンストップ型の「衣類生活支援総合サービス」を目指すべく、クリーニングに加え衣類その他の保管サービス及びリフォームサービスを永きに亘り展開して参りました。
「クリーニング業なので洗うだけ」と言う概念では、「保管」や「リフォーム」事業の展開には至らなかったと思います。衣類とそれを着る人、そしてその人のライフスタイルを考えてみてはじめて「お困りごと」や「あったらいいな、できたらいいな」が見えて参ります。
「洗って直して翌日仕上がり」「クリーニング&無料保管」等のサービスは喜久屋が他に先駆けて行ったもので、その同機と目的は「不取り(ふどり)」にあります。
「不取り」とは、不安・不満・不便・不快と言った心配や懸念を取り去る施しであり、サービス業の「原点」であると喜久屋は考えます。故に、喜久屋のサービスの本質は「不取り」にあります。

【フロントコンシェルジュサポート(FCS)】
昨今、全国の中規模以上の新しいマンションには所謂「コンシェルジュ・サービス」があり、そして当然のことの様にクリーニングの受付を行っています。
コンシェルジュサービスはマンションの管理会社や販売会社等が提供・運営しており、各運営会社はコンシェルジュ・サービスの内容や質、そしてその料金にはとても敏感です。その理由は、コンシェルジュ・サービスがマンション購入者の大切な購入判断基準のひとつとなっているて、運営会社にとっては自社を選んで貰えるか否かが直接死活問題となるからです。喜久屋では、平成20年より全国のマンションを対象とした「フロント・コンシェルジュ・サポート」サービスを展開しています。
当時、マンション管理会社や販売会社では、受託したマンションの近くにあるクリーニング業者へ当該マンションのクリーニングサービスを委託していましたが、全国規模での展開となってくるにつれ、クリーニングの仕上がり品質やカスタマーサポート等へのサービス品質、また内容のバラツキや不備等により居住者へ対するサービスの質(クリーニング品質も含み)の低下が目立って参りました。そこで、当時喜久屋で「夜間デリバリーサービス」用に開発したクラウド型の受注管理システム「MD-NEXT」がマンション管理会社各社の目に留まり採用されました。このシステムにより、全国全てのサービス提供マンションでの運用状況や顧客利用状況がリアルタイムで一元管理でき、また様々な居住者ニーズに応えることが出来るようになりました。
コールセンターも喜久屋本部内に設置することにより、クレーム情報を含めた「生の情報」も収集でき、それを瞬時に管理会社やクリーニング事業者へフィードバックすることができるために居住者の方々からも大変喜んで頂いています。
クリーニングそのものは全国対応故に喜久屋が行う訳ではありませんが、喜久屋の品質基準に基づき全国の加盟クリーニング業者へ委託していることと、「リアル情報」をもとに喜久屋が責任を持って管理及びサポートしている関係上、「フロント・コンシェルジュ・サポート」も喜久屋なのです。

【マッサージ事業】
喜久屋は2013年よりタイ・バンコクでクリーニング事業を展開しています。喜久屋がタイで事業展開をすることになった経緯は、2010年にタイの財閥より「クリーニング事業を行いたい」と言うオファーがあったことによります。
そして、社長の中畠が何度かタイを訪れた際に「タイ古式マッサージ」と出会いその素晴らしさに魅了されました。中畠は以前椎間板ヘルニアを患い日本の整体とストレッチ療法により完治させた経験を持っていて、「タイ古式マッサージこそが整体技術とストレッチ療法それぞれの利点や特徴を持ち合わせた究極のマッサージである」と身を持って認識しました。
そして、「これを是非とも喜久屋のお客様へ提供したい」と考え、2011年にタイ古式マッサージサロン「マッサジア」を千代田区六番町にオープンさせました。
平成4年に喜久屋は改組を行いましたが、その際、専務であった現社長中畠は前社長と相談し、当時の社名であった「喜久屋クリーニングセンター」から「喜久屋」へ社名変更をしました。その理由は「クリーニングと言う業種・業態名が社名となっている以上は発想の枠が自ずと限られ変化に弱く、そして時流に疎い企業となってしまう」と考えたことによります。
これがタイ古式マッサージを開業した理由でもあり原点でもあります。要するに、経営理念「喜久屋でよかった」の実現が、会社の、そして中畠の企業経営における同機と目的であるのです。故に、「マッサージでもクリーニングでも社会に役立つのであれば業種や業態は選ばない」と言う発想によりマッサジアは誕生しました。
今ではタイ古式のみならず、アロマや整体、フェイシャルまでも提供することの出来るサロンに成長・発展しました。

【海外事業】
タイ・バンコクでの事業展開のきっかけはタイの財閥からのオファーだったのですが、結局はクリーニング事業の提携には及びませんでした。しかし、それを機会に社長の中畠は頻繁にタイへ行くこととなりました。
丁度その時期と重なる様に、お客様サービスの一環として古着等の「不用品無料引取りサービス」を店頭で行っていました。2010年の10月に同サービスを開始し僅か一ヶ月で2万着もの衣類が集まりました。集まった衣類をよくよく見ると、着用には全く問題の無い良品や、値札の付いた新品までもが山のようにありました。そして5ヵ月後に、2011年の3月11日がやって参りました。
「冬服が足りない。毛布が欲しい」と言う被災地からの悲鳴に対して、喜久屋では「不用品」として集まった衣類をすぐに被災地へ送り届けました。毛布に関しては、モバイル会員へご登録頂いている25000名のお客様へ呼びかけ、あっと言う間にトラック数台分の毛布や布団を提供して頂き、洋服同様すぐさま被災地へ届けました。これは正に「不用品」が「用品」に変化を遂げた一瞬でした。
このやり取りをきっかけに、既にタイへ数回訪れている中畠は「日本は物あまりであるがタイや東南アジアはまだまだ物不足だ。日本製品はどこでも喜ばれるのだから、これ(不用品)をタイへ輸出して、その収益の一部を被災地の復興支援に役立てることができれば、ご提供下さったお客様の気持ちも報われるし、タイの人達も良品が安価で手に入りきっと嬉しいだろう。正に不用品の善循環だ」と考え、タイでのアパレル事業の展開を決意しました。
その年の12月にバンコク市内へアパレルショップを開設し、たまたま隣で営業していたクリーニング店の日本人オーナー夫妻とのご縁が出来、その後オーナー夫妻の意向により事業を継承させて頂く運びとなったことが喜久屋のクリーニング事業でのタイ・バンコク進出の経緯となります。
今ではバンコク市内の9店舗の取次ぎ窓口を引き継ぎ、日本の最先端のクリーニングサービスをタイの皆様へ向けて展開しつつあります。
採用担当 小栗 成登

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