大分石油株式会社

既存の枠組みを超えた提案で、顧客ニーズを幅広くとらえる

社長永岡 壯三

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地域ガソリンスタンドのネットワークを展開する【大分石油株式会社】。永岡社長は社長職としての役割を、前線に立つ従業員のサポート役と考える。近年では、代替エネルギーと地理的分散の観点から、太陽光・風力発電にも着手し始めた。今後もその時代背景を読みながら、永岡社長は“総合エネルギーコーディネーター”としての地位確立に奮闘していく。

[番組公開日:]

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プロフィール
代表者名
永岡 壯三 (社長)
生年月日
1968年11月4日
出身地
大分県豊後高田市
出身大学
慶應義塾大学
趣味
山登り、釣り、小鳥・金魚の飼育
休日の過ごし方
山登り・家族サービス
過去に経験した
スポーツ
剣道・居合道・バレーボール・スキー・スキューバダイビング・バンジージャンプ・ヨット・ゴルフ
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会社情報

会社名 大分石油株式会社
代表者名 永岡 壯三 (社長)
企業HP http://oitasekiyu.co.jp
所在地 〒870-0004
大分県大分市王子港町1番14号
創業 1949年11月28日
資本金 3000万円
前期の年商 115億円
従業員数 204名

業種 石油・石炭 / その他製造
キーワード ガソリンスタンド / 石油製品 / 太陽光発電 / メガソーラー
会社商品 PR 主力である石油製品・ガスに加えて、太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーの研究・提供や、バイオディーゼル燃料の製造など、地球環境への配慮といった課題にも取り組んでいます。
地域に密着したエネルギーコーディネーターとして、お客様に最適のエネルギー環境を提供できるよう、新たな価値の創造を目指しています。
事業内容 大分県と宮崎県にガソリンスタンド23ヶ所展開。グループ企業の店舗を合わせ50ヶ所の店舗ネットワークです。
また7ヶ所の油槽施設を持ち、産業用燃料や工業用潤滑油など石油製品全般を供給しています。
近年では太陽光発電設備の設置やバイオ燃料の製造、風力発電設備の設置研究などにも携わっています。
企業理念/
こだわり/
他社との違い
「顧客のサービスに誠意をつくし、社会に貢献することを喜びとする」を社訓の第一に掲げ、地域社会とともに生きる企業を目指しています。
石油製品は巨額の費用とリスクを掛けて中東などからタンカーで運び、国内で精製してお客様のところにお届けするという流れの中、当社はその最下流のもっともお客様に近い立場にて仕事をさせていただいております。
石油は現代社会にとっては不可欠なものであり、その安定供給が最も大切だと考えております。
地域市民の安全と安心を守るために、誇りと自信をもって石油販売業に従事しております。
私は社員の多い会社を目指したいと考えています。
地域に雇用が生まれるということもありますが、勤務いただくということは何らかの幸せ・喜びを求めているからこそ、当社にお勤めいただいているのだと考えています。
つまり、社員の数が多いということは、この地域に幸せが多いということ。もっと多くの幸せを作る為に、社員を増やし、仲間も増やしていきたいと思います。
多くの社員を雇用するために利益が必要だと思っています。
利益が企業の目的だという方がおられますが、私はそうは考えてはいません。
あくまでも地域発展や地域市民・社員の幸福の実現が目的であり、そのためには利益が必要であると教えています。
儲けが目的化してはならないのです。

●会社の由来:
大分石油は私の祖父が昭和24年に創業しました。以来64年を迎えます。
実はその前に当時は日本であった朝鮮半島に渡った祖父が“朝鮮炭業”という木炭・石炭を扱う会社を起業し、その後石油販売に転じたことによって、朝鮮半島から中国華北・東北部一帯にて手広く燃料を扱っていました。
戦争によってすべてを失って引き揚げてきた訳ですが、ちょうど今の私の年の頃に、もう一度この大分にて石油販売業を起業したのです。
当時はまだ戦後の混乱期で規制も多く当初は経営がとても苦しかったそうですが、お客様に助けられながら成長することができ、創業後10年程度でいまとほぼ変わらないネットワークとなりました。
再起にかける祖父のその熱意と行動力はとても凄かったと聞いていますし、経営者はかくあるべきということで今でも目標になっています。
その後、父がこの会社を継いだのですが、まさに私自身を育てていただいたのは、この会社の社員でありお客様であると思っておりますし、お陰さまで大学まで行かせていただいたと常に感謝しております。
卒業後は京セラに5年程勤務を致しました。
まだ勢いよく成長を続ける時代であり、また経営者の理念が末端社員にまで浸透している姿が当たり前という会社に努めさせていただいたことは貴重な経験でありました。
その後当社に入社、平成17年より社長を勤めさせていただいております。
商いとは、いかに付加価値をつけるかだと考えています。
石油業界では隣のお店の価格より1円安く売るというのが常道と言われますが、これでは成長しません。
いかに付加価値をつけるか、そしてお客様には、商品の代金ではなく、満足の代金としてお代を頂戴する、という感覚を大切にしようと考えています。
また企業の利益は地域に還元するという考え方から、昭和53年にまだホテル施設がなかった豊後高田市においてホテル清照を建設して運営を行ったり、昭和の町として有名な豊後高田市において“旧共同野村銀行”を買いとり、昭和の町の銀行として一般開放するなど、企業メセナを続けております。
また、創業60周年の記念事業として“原風景の残る郷”というTV番組を制作しました。
26回にわたって宇佐・国東半島の歴史・文化・風習を紹介するという内容だったのですが、TV放映はもちろんのこと、そのDVDも大変ご好評をいただいております。
当社が太陽光発電に初めて取り組んだのは8年前になります。
ガソリンスタンドを建設する際に、単なる石油の蛇口になるだけでは、時代の要請に合わないと考えていました。
実はガソリンスタンドは、生活に不可欠な燃料があるともに、建屋は強靭、消火設備や工具類なども揃っており、災害時にはとても重要なライフラインの拠点になるのです。
そのときに電気がなけりゃなにもならないじゃないか、それにCO2を輩出する側の立場なのだから、環境にやさしい事にも積極的に取り組まなくてはということで、屋根の上に10kwの太陽光発電設備を載せました。
当時では全国的にも珍しかったと思われ、資源エネルギー庁長官から表彰をいただきました。
それ以降、自然エネルギーに眼を向けることとなり、順次ガソリンスタンドの屋根に太陽光を載せたり、風力発電の研究開発だとかバイオディーゼル燃料の精製に携わるようになってきました。
それが震災以降、急に注目を浴びるようになったという訳です。
いま、エネルギーには安定供給に加えて、多様性と地域性が求められる時代になってきました。
お客様にもっともふさわしいエネルギーはなにか?或いはこの地域にふさわしいエネルギーとはなにか、それを考えながら提案するようにしています。
もちろん今後も石油はエネルギーの中心的存在でありつづけると思っていますが、石油は大変貴重なものですし、一旦燃やすと無くなってしまいます。
こんなものを浪費するのはいけないと思います。
売る人間が、余り使わないでくれというのは、違和感があると思いますが、それほど貴重な資源だと思っています。
私の出身である国東半島の豊後高田市は、み仏の里と呼ばれておりまして、神仏習合発祥の地であり、神社仏閣がとても多い地域です。
その仏教の教えのなかで、五輪・五大という言葉があります。それを象って作られた塔のことを五輪塔というのですが、その五輪塔もたくさん国東半島にはあります。
その五輪・五大とは、仏教でいう万物を構成するとされる「地・水・火・風・空」の5つの要素のことなのです。
まさにこの五大こそ、エネルギーの源だと思うのです。
今はまだすべてを取り組むにいたっておりませんが、将来的にはこの5つの要素であるエネルギーをすべて扱えるようになりたいと考えています。
特徴的な制度/社風 創業当時より「和」を合言葉に、従業員同士の親睦に取り組んでいます。
また地域に貢献する会社であることは同時に地域に貢献する社員であるべきとの考え方で、春秋の農繁期には優先的に地域行事に参加することを勧めるなど地域活動する社員を応援しています。
消防団員であったり救急救命士の資格を持っているとそれぞれ手当を支給していますし、無事故無違反の継続年数に応じて運転手当を支給するなど、地域の安全安心に取り組む社員を評価しています。
また、こういった販売会社には珍しく、SSVQ(Service・Safety・Value・Quality)運動というQCサークル活動をしておりまして、社員が自ら考え自ら変化していくという企業風土を作っています。
社員会では2年に一度の社員旅行を行っていますし、過去にはビーチバレーボール大会やたて干し、最近では芋ほり大会などのリクレーションを企画実行しており、多くの社員が集って親睦を深めています。
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