新着情報
- 2015.02.20
- VOLANTE 佐伯 代表から推薦を受けました。
会社情報
会社名 | 株式会社喜久屋 |
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代表者名 | 中畠 信一 (代表) |
企業HP | http://www.kikuya-cl.co.jp/ |
所在地 |
〒121-0064 東京都足立区保木間1-5-4 |
創業 | 1956年5月1日 |
資本金 | 1000万円 |
前期の年商 | 11億5000万円 |
従業員数 | 150名 |
業種 | 専門サービス業 |
キーワード | クリーニング一般加工および衣類のリフォーム / F.C.S(フロント コンシェルジュ サポト) / e-closet(イークローゼット) |
会社商品 PR | 喜久屋はお陰様で平成28年5月に創業60周年を迎えさせて頂きます。これも永きに亘り喜久屋をご支持下さいましたお客様、「喜久屋でよかった」と云う経営理念のもとに真摯且つ愚直に取り組んで下さいました先人並びに現在在籍中の従業員・スタッフの皆様、順境逆境いずれの場合にもビジネスパートナーとして支えて下さいましたお取引先の皆様、喜久屋の事業活動そのものを温かく見守って下さいました地域の皆様のお陰であると心より感謝しています。 過去60年近く喜久屋は、様々な経験や体験を通じて確実に成長し変化して参りました。お陰様で、近年においても激変する時代のうねりの中、数々のハードルに遭遇し挑戦しながらも結果的により良い方向へ転換することが出来たと感じています。ですが、全く持って私個人の実力ではないと云うことを深く認識しています。それは、創業者である祖母中畠けさの真摯な取り組みと、初代社長であり父である中畠憲治の「道徳経済一体思想」や「三方よし」に立脚した「我なくして全ての関係者の幸せを祈る」と云う犠牲的精神及び時代に合致した考えと取り組みの累積、そしてその父を支えた母・榮子の周囲への気配りや配慮の分量に護られただけであると考えており、「感謝」の一語しかありません。そして、その「恩」と「徳」とを次世代に継承することも私の大切な仕事であると自覚し、全うできるよう強く心に刻んでいます。 今正に激動の時代と云えましょう。 クリーニング業界においても需要の半減、ニーズの多角化、生活者のライフスタイルの変貌、労働者不足等数々の問題が存在し先行きは実に不安且つ不透明です。大胆に、そして正しく業態変換や大幅な経営体質の改善等を行わなければ存在すら危ぶまれます。 このような状況下におきましても、私共喜久屋は近年、e-closet(イークローゼット)やcitycloset(シティクロゼット)と云った時代に合わせた新サービスの提供を全社一丸となり取り組んで来ることが出来ました。それは、多くの従業員・スタッフが経営理念に共感・賛同し、それが原動力となり、ひとつひとつが具現化して来たのであると思います。 企業はその永続・発展の年月が長ければ長いほど、幾人幾多の計り知れない恩恵を頂いていることになります。まさに「企業の歴史=感謝と恩恵の歴史」と言えます。 また、人間では歳を重ねれば重ねるほど、企業では創業からの年月が長ければ長いほど社会的責任も大きくなって参ります。 喜久屋は今後も創業以来変わらぬ「三方よし」の精神及びその取り組みを質的・量的にも一層充実させ、諸恩人に対する報恩と社会に対する貢献を誓いつつ、創業100周年へ向けての歩みを始めて参ります。 |
事業内容 | 【クリーニング、保管、リフォーム事業】 喜久屋では消費者の生活時間短縮を目的に、従来の単一的なクリーニングサービスから脱却し、ワンストップ型の「衣類生活支援総合サービス」を目指すべく、クリーニングに加え衣類その他の保管サービス及びリフォームサービスを永きに亘り展開して参りました。 「クリーニング業なので洗うだけ」と言う概念では、「保管」や「リフォーム」事業の展開には至らなかったと思います。衣類とそれを着る人、そしてその人のライフスタイルを考えてみてはじめて「お困りごと」や「あったらいいな、できたらいいな」が見えて参ります。 「洗って直して翌日仕上がり」「クリーニング&無料保管」等のサービスは喜久屋が他に先駆けて行ったもので、その同機と目的は「不取り(ふどり)」にあります。 「不取り」とは、不安・不満・不便・不快と言った心配や懸念を取り去る施しであり、サービス業の「原点」であると喜久屋は考えます。故に、喜久屋のサービスの本質は「不取り」にあります。 【フロントコンシェルジュサポート(FCS)】 昨今、全国の中規模以上の新しいマンションには所謂「コンシェルジュ・サービス」があり、そして当然のことの様にクリーニングの受付を行っています。 コンシェルジュサービスはマンションの管理会社や販売会社等が提供・運営しており、各運営会社はコンシェルジュ・サービスの内容や質、そしてその料金にはとても敏感です。その理由は、コンシェルジュ・サービスがマンション購入者の大切な購入判断基準のひとつとなっているて、運営会社にとっては自社を選んで貰えるか否かが直接死活問題となるからです。喜久屋では、平成20年より全国のマンションを対象とした「フロント・コンシェルジュ・サポート」サービスを展開しています。 当時、マンション管理会社や販売会社では、受託したマンションの近くにあるクリーニング業者へ当該マンションのクリーニングサービスを委託していましたが、全国規模での展開となってくるにつれ、クリーニングの仕上がり品質やカスタマーサポート等へのサービス品質、また内容のバラツキや不備等により居住者へ対するサービスの質(クリーニング品質も含み)の低下が目立って参りました。そこで、当時喜久屋で「夜間デリバリーサービス」用に開発したクラウド型の受注管理システム「MD-NEXT」がマンション管理会社各社の目に留まり採用されました。このシステムにより、全国全てのサービス提供マンションでの運用状況や顧客利用状況がリアルタイムで一元管理でき、また様々な居住者ニーズに応えることが出来るようになりました。 コールセンターも喜久屋本部内に設置することにより、クレーム情報を含めた「生の情報」も収集でき、それを瞬時に管理会社やクリーニング事業者へフィードバックすることができるために居住者の方々からも大変喜んで頂いています。 クリーニングそのものは全国対応故に喜久屋が行う訳ではありませんが、喜久屋の品質基準に基づき全国の加盟クリーニング業者へ委託していることと、「リアル情報」をもとに喜久屋が責任を持って管理及びサポートしている関係上、「フロント・コンシェルジュ・サポート」も喜久屋なのです。 【マッサージ事業】 喜久屋は2013年よりタイ・バンコクでクリーニング事業を展開しています。喜久屋がタイで事業展開をすることになった経緯は、2010年にタイの財閥より「クリーニング事業を行いたい」と言うオファーがあったことによります。 そして、社長の中畠が何度かタイを訪れた際に「タイ古式マッサージ」と出会いその素晴らしさに魅了されました。中畠は以前椎間板ヘルニアを患い日本の整体とストレッチ療法により完治させた経験を持っていて、「タイ古式マッサージこそが整体技術とストレッチ療法それぞれの利点や特徴を持ち合わせた究極のマッサージである」と身を持って認識しました。 そして、「これを是非とも喜久屋のお客様へ提供したい」と考え、2011年にタイ古式マッサージサロン「マッサジア」を千代田区六番町にオープンさせました。 平成4年に喜久屋は改組を行いましたが、その際、専務であった現社長中畠は前社長と相談し、当時の社名であった「喜久屋クリーニングセンター」から「喜久屋」へ社名変更をしました。その理由は「クリーニングと言う業種・業態名が社名となっている以上は発想の枠が自ずと限られ変化に弱く、そして時流に疎い企業となってしまう」と考えたことによります。 これがタイ古式マッサージを開業した理由でもあり原点でもあります。要するに、経営理念「喜久屋でよかった」の実現が、会社の、そして中畠の企業経営における同機と目的であるのです。故に、「マッサージでもクリーニングでも社会に役立つのであれば業種や業態は選ばない」と言う発想によりマッサジアは誕生しました。 今ではタイ古式のみならず、アロマや整体、フェイシャルまでも提供することの出来るサロンに成長・発展しました。 【海外事業】 タイ・バンコクでの事業展開のきっかけはタイの財閥からのオファーだったのですが、結局はクリーニング事業の提携には及びませんでした。しかし、それを機会に社長の中畠は頻繁にタイへ行くこととなりました。 丁度その時期と重なる様に、お客様サービスの一環として古着等の「不用品無料引取りサービス」を店頭で行っていました。2010年の10月に同サービスを開始し僅か一ヶ月で2万着もの衣類が集まりました。集まった衣類をよくよく見ると、着用には全く問題の無い良品や、値札の付いた新品までもが山のようにありました。そして5ヵ月後に、2011年の3月11日がやって参りました。 「冬服が足りない。毛布が欲しい」と言う被災地からの悲鳴に対して、喜久屋では「不用品」として集まった衣類をすぐに被災地へ送り届けました。毛布に関しては、モバイル会員へご登録頂いている25000名のお客様へ呼びかけ、あっと言う間にトラック数台分の毛布や布団を提供して頂き、洋服同様すぐさま被災地へ届けました。これは正に「不用品」が「用品」に変化を遂げた一瞬でした。 このやり取りをきっかけに、既にタイへ数回訪れている中畠は「日本は物あまりであるがタイや東南アジアはまだまだ物不足だ。日本製品はどこでも喜ばれるのだから、これ(不用品)をタイへ輸出して、その収益の一部を被災地の復興支援に役立てることができれば、ご提供下さったお客様の気持ちも報われるし、タイの人達も良品が安価で手に入りきっと嬉しいだろう。正に不用品の善循環だ」と考え、タイでのアパレル事業の展開を決意しました。 その年の12月にバンコク市内へアパレルショップを開設し、たまたま隣で営業していたクリーニング店の日本人オーナー夫妻とのご縁が出来、その後オーナー夫妻の意向により事業を継承させて頂く運びとなったことが喜久屋のクリーニング事業でのタイ・バンコク進出の経緯となります。 今ではバンコク市内の9店舗の取次ぎ窓口を引き継ぎ、日本の最先端のクリーニングサービスをタイの皆様へ向けて展開しつつあります。 |
企業理念/ こだわり/ 他社との違い |
●経営理念 『喜久屋でよかった!』 お客様より「喜久屋でよかった!」 働くみんなが「喜久屋でよかった!」 取引先から「喜久屋でよかった!」 地域社会が「喜久屋でよかった!」 そのように思って頂ける企業を目指し、社会や国家に貢献していきます。 ●経営理念について 当社の経営理念は「利他の精神」に基づき、「自分が犠牲を払い※1、相手と第三者※2を益することによって結果として自らの幸福が実現すること=三方善し」を目的として創造されました。 ※1)相手や第三者の幸福を最優先に考え、「相手に喜んで頂く・安心して頂く・満足して頂く」等心を込めること ※2)企業に関わる全ての利害関係者(ステークホルダー)を云い、地球や宇宙と云った広大な環境をも含む 公益財団法人モラロジー研究所の創立者であり、『道徳科学の論文』の著者である法学博士・廣池千九郎(1866~1938)は、世界大恐慌などに見舞われた激動の1930年代に次のように述べています。 「大勢※3には、善きものと悪しきものとあり。大勢に逆行するもの、または順応するものは滅ぶ。順応しつつ真理を守るものは残る」 ※3)時代の流れ 要するに、いくら時代の流れに乗りたまたま成功を収めたとしても、事業の動機や目的が三方善しではない場合には、永続的な繁栄がなく、倒産や廃業に追い込まれる。一方、時代の流れに乗りつつ「三方善し」の具体的な実践とその継続を行う企業は、結果として永続・発展が約束される。このように廣池千九郎は歴史的な事実と観点から説いています。 私ども喜久屋の経営理念の本質は、現在只今に感謝し、自らが犠牲を払うことにより関わり合う方の幸せを願い、時代に合わせた創意工夫をもって「三方善しの経営(=善の創造※4)」の実現を目指すと云うことです。 ※4)「善」とは…人類の生存、発達、安心、安全、平和、幸福を実現する為のモノ・コト |
特徴的な制度/社風 | 取材などの際に「喜久屋さんはどのような社会貢献活動(所謂CSR)をされていますか?」と質問を受けることがままあります。それに対し私は「本業そのものが社会貢献活動であると位置づけています」と応えます。 「経済」の語源は「経世済民」と教わっています。「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」と言う意味です。故に、経済の中心で活動する経営者は、この本質により事業経営を行うことが基本と考えていますし、「本業」と「社会貢献活動」を切り分けて事業を展開することなどは全くイメージが湧きません。むしろどちらかに偏ることはどちらかが手抜きになると思います。 喜久屋の経営理念は「喜久屋でよかった」です。 これは、お客様・従業員・取引先・地域社会の全てが喜久屋と関わることにより安心や満足を得て頂きたいと願うところから創造されました。 公益財団法人モラロジー研究所の創立者である法学博士・廣池千九郎は次の様な格言を残しています。「事業誠を尽くし救済を念となす」これは、事業家であれば本業に誠心誠意を尽くし、事業活動を通じて関わる方々の幸せ実現に尽力すべきであると言う意味です。よって私は、喜久屋がクリーニングや洋服保管サービスを通じ、周囲の方々の「安心や満足」、「便利や助かる」を実現すること自体が社会貢献活動であると信じて止みません。 ただ、本業の少し先に直接的な(事業収益を伴わない)社会貢献の機会がある場合もあります。東日本大震災の時でしたが、たまたまお客様サービスの一環として「不用な衣類の引き取りサービス」を店頭で行っていました。そこへ震災が勃発したので直ぐさま収集した衣類2万着を被災地へ送りました。その後、毛布が足りないと聞き、喜久屋モバイル会員のネッワークを使い毛布の寄付を呼びかけたところ、あっと言う間にトラック数台分が店頭を通じて集まり、被災地へ送らせて頂きました。この様な機会こそが「本業の少し先にある社会貢献」であると考えます。店舗や工場が「こども110番事業所」に登録してあるのも同じことです。故に、本業そのものが社会貢献活動であり、それが私達喜久屋の企業文化でもあります。 |
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